独特の強い日差しと少しひんやりとした心地よい風の中で、ボンヤリしています。敷地内にレジデンスがいくつも建ち並ぶ広大なキャンパスで、早朝にもかかわらず真剣に何かを議論している学生たちを目の前に、タンブラー片手にボンヤリと20年前を振り返っています。
それにしても羨ましい環境。構内は「マチ」を形成していて、志の高いと思われる人々で成り立つコミュニティが存在し、景観を維持する秩序や女性子供や障碍者を無意識に優先する価値観が溢れています。専門分野ごとにデザインされた区画と、種目ごとに存在するフィールドやスタジアムは圧巻で、「もう一度、学びたいな。」と思わせるのでした。
20年前。僕も学生でした。およそ目的もなく、なんとなく時間が過ぎてしまったような時期です。出席をとる必修という名の授業で、広い教室の中、ただ時計の針が進むのを待っていた記憶がよみがえります。
正直なところ、大人になるのがイヤでした。毎朝、両足で立つのがやっとの満員電車に揺られ、決められた服装で決められた仕事を単純にこなして、飲めない酒を朝まで付き合い、週末は昼まで眠り疲れを癒し、流行りのお店で食事をしたりして、老後の心配をしながら年をとっていく…。授業が終わるのを待つように人生が終わるのを待つのかと…。
少なくとも一流といわれる企業にお勤めしている大人たちが、毎朝しかめた顔で通勤したり、居酒屋で会社の愚痴をこぼしていたりするのを見れば、会社説明会での会社側のプレゼンが嘘であることくらいすぐに気づきました。
でも実際、自分が大人になって理解しました。「好きなことを好きな人と好きなだけできる。」ということを。情熱さえあれば、なんだってできるということを。いつも思うのは「自律」することの大切さです。自分がどうしたいか、本当の自分に問いかければよいのです。そこに情熱が宿り、すべてを可能にしていくからです。それは、この世に存在する自分の価値を単純に認識する作業なのかもしれません。
森友学園、加計学園、後を絶たない生徒に対する教諭の猥褻行為等々、学び舎をとりまくニュースは、ネガティブなものが多いように感じます。いずれも大人の問題で、学生の問題ではないことが残念です。本来、学ぶ者の道標になるべき卒業生たちが、彼らの夢や希望の象徴になっていないわけです。
先を歩く大人がするべきこと…。それは経済的に豊かになることでも、一流企業に勤めることでもないと僕は思うのです。どんなに小さくても夢をもち、自分の人生を楽しむことなのではないでしょうか。「ここで、大人になるためのウォーミングアップをしたい。」と思わせるUBCのキャンパスで、もう少しだけ、何もしないナツを過ごします。